グアテマラのマヤの村にボランティアをしに行った時のこと。
マヤ人の住む村はグアテマラシティから車で4、5時間離れた山奥にある。幸い、ボランティアコーディネーターが、親切で安全なドライバーを手配してくれ、地元の危険なバスに乗らずに済んだ。
マヤの村と言っても一つではなく、美しいアティトラン湖を囲んだいくつかの村からなる。村から村への移動はトゥクトゥクでも行けるが、定員10人くらいのボートで渡った方が速い。
マヤの村には貧困層が非常に多く、村によっても多少の格差がある。ボランティアで通っていた村は3食ご飯を食べられる家族は稀で、慢性栄養不良に苦しむ子供が大勢いた。
私は子供の教育関連のボランティアがしたかった。ディレクターと相談して施設での子供のアクテビティとその施設で勤務する女性たちの手伝いをすることになった。
その施設で勤務する何人かの女性たちは外国人旅行客用の昼食をレストランで、他の女性たちは子供たちやスタッフ用の昼食を作ることになっていた。レストランの売り上げは施設の運営費や女性の給与に充てられ、子供とスタッフの昼食は無料で支給された。
子供たちは昼食後、アクティビティの時間までは好きな本を選んで読むのが習慣となっていた。
ある日、昼食後に子供たちと一緒に本を読んでいると、二人の男の子が同じ本を読みたそうにしていた。一人は8才くらい、もう一人は6才くらいだった。すると、年上の男の子がもう一人の子にこんなことを言った。
一緒に読もうよ!1ページずつ交代で音読しない?
年下の子はうん!と言って、二人は仲良く順番に音読し始めた。これがすんなりできたということは、習慣化されていることなのだろう。なんて心温まる情景なんだろう、と感動した。
先進国の子供なら、大人からは「仲良く分けっこしようね」とか「順番に使おうね」などど言われていたとしても、ほとんどの場合取り合いして喧嘩になっていたのではないかと思う。
私が出会ったマヤの子供たちは、他のアクティビティを見ていても思ったことだが、年下の子が困っていたら年上の子が助けてあげたり、一緒に学ぶということが根付いているようだった。
これを誰に言われたからでなく、自分で考えて当たり前にできるって結構すごいことなのではないだろうか。
どんなに立派な施設で簡単に資源が手に入ったとしても、この習慣は簡単に学べるものではない気がする。先進国の子供はマヤの子供から学べることがあるのではないだろうか。
今日もみんなが笑顔で過ごせますように💖
最後まで読んでくれてありがとう╰(*´︶`*)╯♡